ああ!ことばを喋れたらよかった!

喋れないならペンで戦うしかないじゃないか

今書かなきゃ、いつ書くんだ?

そう、今しかないのだ。これこそが躁状態の人間のすがた……かもしれない。


今はAM8:45 私は居心地の良い布団の中にいる。なぜブログを始めたのか?答えは簡単で、寝ていないからである。私は寝ていない。正しくは24時間起きているという状況だ。




双極性障害二型という名前を与えられる前から、自分はおかしい、病気なのでは、という意識があった。

学校に行きたくない(課題が終わっていないから!)(朝起きれないから!)(バスの時刻を逃してしまったから!)

理由はほぼこの三つで、いじめのような人間関係トラブルは有難いことに殆どなかった。にも関わらず、学校という「目的地」に「継続して」「通う」ということがうまく出来ない子どもだった。

仕事もそうだ。「職場」へ「時間通り」に「通う」さらに併せて業務知識を「どんな時も安定して提供」しなければならない。


思うに、気分の波があり「ダメな日」は「通うことができない」家を出るどころか布団から出ることすら厳しい。

打って変わって「やれる日」は「通うことは勿論」帰りには「寄り道」をする。

気分が良いからサイコー!という訳ではないことを15年ほど付き合ってきてようやく学んだ。今だってブログ書いて自分の主義主張を携えてあわよくば同じ気持ちを抱く読者さまと会えたらイイナ!サイコー!という状態。あとで恥ずかしくなってブログ消しちゃいそう。


目的地へ毎日継続して同じ時間通う、という至極当たり前のことをなぜこなせないのだろう。

先に述べた”課題が終わらない”は「完璧主義」「ダメな日が続いていた」が原因だし、”朝起きれない”も「ダメな日が続いていた」「躁で寝ていない反動が来た」だし、”バスの時刻を逃したから”は「躁・うつ共に時間の感覚がなくなる」から、かもしれない。これはあくまで私個人の経験と分析なので鵜呑みにはしないでね。


これを書いている今の私は恐らく軽躁状態で、近いうちに睡眠リズムの反動や意欲関心の低下が訪れるはずだ。そのときにああまた病気に振り回されてるなあと 客観的に振り返れる用のブログである!……となると良いな…

ブログって私が高校の時に流行ってたけれど、やっぱり「多くも少なくもなく決まっただけ」の「継続」することは出来なかった。今度こそ頑張れたらいいな…


毎日繰り返す日常を送れている方は実ははとてもえらい!私もそうなりたいなあ。実はちょっとだけねむい